フォートナム・アンド・メイソンの歴史

1707年 – 創業

1707年、少なくとも2つの歴史的な出来事がありました。大英帝国の誕生とフォートナム・アンド・メイソンの創業です。スコットランドが統合されて「イギリスらしさ」を重視する連合国の政策が打ち出されると同時に、ウィリアム・フォートナムの名前がメイソン氏の名前の前に加えられて、イギリスの真髄にふさわしい新しい食料品店が誕生したのです。
その頃国外では、ヨハン・バッハという若き教会オルガン奏者がそのいとこと結婚し、クレムリンがメンシコフ塔をその統制指揮下におき、アメリカではニューイングランドが独立運動を起こし、かのタージ・マハールを妻の死を悼んで建立させたムガール帝国王シャー・ジャハーンがついにこの世を去りました。その残された帝国領とベンガル地域が合体して独立州となり、イギリス東インド会社の統制下におかれました。まさにこの歴史こそが、後のフォートナム・アンド・メイソンの運命を左右することになるのです。

Fortnum's Scotch Egg

1738年‐旅行者向けのスコッチエッグを考案

ロンドンにおいて、旅行者相手に商売をするのに最適の場所に位置していたフォートナム・アンド・メイソンの店は、長旅に簡単に携帯できる食品の考案に商機を見いだすことを目指しました。たくさんのアイデアを思い付いたフォートナム氏とスタッフは、固めにゆでたゆで卵をソーセージ肉で包み、パン粉をまぶして揚げるという賢いアイデアを編み出しました。世界初のスコッチエッグの誕生です。美味しくて、食べ応えがあって、持ち運びやすいこの食べ物は、現代同様、当時も大人気を博しました。

1794年 – フォートナム・アンド・メイソン郵便局

フォートナム・アンド・メイソンの郵便事業
英国郵政省管轄の中央郵便局が設立される前は、郵便事業は誰でも行うことができました。そこで、フォートナム・アンド・メイソンはそのチャンスを生かし、郵便料金支払い済みの手紙用と未払いの手紙用という2つの投函箱を設けて、1日に6回集配するサービスを始めたのです。(当時はまだ切手がなく、大抵の場合手紙の受取り側が料金を払いました)軍人や水兵はお得意様だったので料金の割引対象となりました。これがきっかけで人々の店への出入りが盛んになり、美しく飾られた店先のショーウィンドーや内装が多くの人々を魅了していきました。1839年に中央郵便局が設立され、翌年、若きビクトリア女王が印刷されたペニーブラック(ペニー切手)が発行される1年前まで、このフォートナム・アンド・メイソン郵便事業は続きました。

1814年 – 英国王室と英国軍両方の御用達

フォートナム・アンド・メイソンは戦時中の士気高揚維持には不可欠な存在で、半島戦争以降「nations of shopkeepers(あきんどの国)」として、ナポレオン率いるフランス軍を破って英国に勝利をもたらした兵士たちの胃袋を満たしました。はちみつ、ドライフルーツ、香辛料、特にジャムは、戦地の兵士たちには大変ありがたい食べ物でした。その内容は当時のタイム紙などで紹介されています。美しい包装紙に覆われた、それまで見たこともなかったおいしい食べ物に、兵士たちはとりこになっていったのです。

1840年 – 新装開店

偉大な産業革命とイノベーションの時代にあって、フォートナム・アンド・メイソンは決して取り残されることはありませんでした。フォートナム・アンド・メイソンの新しい建物は、ガス灯に照らされた厚板ガラスのショーウィンドーを英国でいち早く採用した建物でした。

Richard Fortnum

1846年 – リチャード・フォートナム、従業員に富を分け与える

フォートナム・アンド・メイソンの経営管理者たちは常に啓蒙的でした。店内でのショッピングをお客様に楽しんでいただくためには、まず現場の従業員に手厚い待遇を施す必要があるといち早くから理解していたのです。数あるエピソードの中でも特に、リチャードが分け与えた1,500ポンドのギフト(現在の貨幣価値換算で約50万ポンド)は有名です。その数年後には、フォートナム・アンド・メイソンの従業員は、当時新しく結成された労働組合に加入している者のみで構成され、メディアの報道で名前を公表されるのを恐れることなく組合活動を自由に行うことができました。

1851年 – ディケンズ とフォートナム・アンド・メイソン

万国博覧会、チャールズ・ディケンズ、そしてハンパー大革命
時の皇太子アルバートが情熱を注いだ1851年の万国博覧会は、ロンドン産業革命に更に貢献しました。フォートナム・アンド・メイソンはドライフルーツとデザート各種の輸入業者として最優秀賞を獲得しましたが、それ以上に、イギリスの人々の食習慣に与えた影響の方がはるかに大きいものでした。

この万博では、クリスタルパレスに見られるような工場生産製品を運搬し組み立てて完成するという「プレハブ」の概念が注目されました。フォートナム・アンド・メイソンは、それをヒントに、「とり肉のゼリー寄せ」、有名な「スコッチ・エッグ」(挽肉の中にゆで卵が入ったもの)、緑亀の干し肉、イノシシの頭、トリュフ、マンゴーなど、調理・盛付け済み高級料理を考案したのです。 チャールズ・ディケンズはエプソムダービーでの出来事の一場面を次のように書いています。「見てごらん!フォートナム・アンド・メイソンじゃないか。どのハンパーも緑の芝の上に大きく広げられて、ロブスターサラダがのぞいている。なんて素敵なのだろう!」と。同じような描写がヘンリー・ジェームス、ウィルキー・コリンズやその他の著名作家の作品にも見られます。アスコット競馬、ボートレース(オックスフォード大学とケンブリッジ大学対抗戦)、ヘンリーレガッタ(ヨーロッパ最古のボートレース)、ウィンブルドン、ローズ(世界で最も有名なクリケット競技が行われる)やトゥイッカムナム(有名なラグビー戦が行われる)でハンパーは大活躍し、創業2世紀目の半ばまでには、フォートナム・アンド・メイソンは屋外イベントの立役者として有名になりました。

1854年 – ヴィクトリア女王の命により

1854年、いわゆる「Charge of the Light Brigade」の名で知られるイギリス戦士の大惨劇が本国を震撼させました。クリミア戦争で初めて、現場レポーターによって前線で戦う兵士たちの悲惨な状況が報道されたのです。

スクタリの病院でのすさまじい状況がイギリスに伝えられると、ビクトリア女王自身が直々に「スクタリのナイティンゲールに大量の濃縮ビーフティー(病人用牛肉スープ)を直ちに発送せよ」とフォートナム・アンド・メイソンに命令を下しました。 クリミアに向かうすべての船舶にはフォートナム・アンド・メイソンのラベル付きの貨物が積まれたのですが、海軍将校の多くは「はびこる海賊たちのねらいをかわすためにラベルをつけないでほしい」という旨の手紙をよこしたそうです。

1872年‐慈善のための寄付

フォートナム・アンド・メイソンは社会貢献の精神を常に持ち続けており、寄付方針の一環として、中国茶・寿眉のサンプルをロンドンのキュー国立植物園に寄贈しました。

1886年‐ハインツ氏、ピカデリーにベークドビーンズをもたらす

19世紀半ば頃から、フォートナム・アンド・メイソンは缶詰製品においても主導権を握っていました。当時はなかなか容易に開けることが難しかった缶をポケットナイフで簡単に開ける方法を広めました。そんなわけで、遥かアメリカから缶詰5箱分を持ってやってきた若き実業家が最初に訪れたのがフォートナム・アンド・メイソンだったのも当然のことだったのでしょう。将来、必需主要食品となるであろうという先見をもったフォートナム・アンド・メイソンは、ハインツ氏から缶詰を全部引き取ることにし、イギリスに初めてベークドビーンズを広めたのです。食通をうならせるフォートナム・アンド・メイソンの数多い商品のひとつに加わったベークドビーンズには、こんなエピソードがあったのでした。

In store demonstration of Heinz Baked Beans

ベイクドビーンズは、フォートナム・アンド・メイソンが紹介してきた食品の中では比較的庶民的なものでしたが、フォートナム・アンド・メイソン自体は、当時の上流階級向けのエキゾチックな食品の国内随一のブランドと見られていました。

1911年‐フォートナム・アンド・メイソンのウィンドーを壊して収監された婦人参政権論者たちにハンパーを差し入れ

1914年‐第一次世界大戦
第一次世界大戦勃発

当時フランスとフランダース地方で兵役に従事していたフォートナム・アンド・メイソンの従業員は、帰国後も以前の職に復帰することができることを保証されており、驚くほど多数の従業員が苦難を乗り切り帰国しました。その頃、ロンドンでは女性達がめざましく活躍しており、食料は着々と戦場の兵士たちのもとへと送られていったのですが、その戦場で間もなく、私達ははびこるねずみが食料を食い荒らすのを防ぐのには、金属製の缶が一番有効だということを知ることになりました。

1922年 – 遠征探検

エベレスト遠征とその他数々の遠征、そして探検
フォートナム・アンド・メイソンは、「遠征探検」専門部門があった唯一の店でした。バターナイフやソースボートなどの細かなものまで、当時の遠征探検隊員にとっての必需品が遥か遠いアフリカやヒマラヤへと渡っていきました。例えば1922年のエベレスト登頂遠征では、60缶のうずらのフォアグラや4ダースのシャンパン(モンテベロ 1915)が、隊員たちにとっての必需品でした。

若きテンジン・ノーゲイを含む1933年の遠征隊員一行をひどくがっかりさせた事件がありました。それは、遥々運んできた箱に詰められた食品が石にすりかえられていたのです(おそらく現地の詮索好きな税関役人の仕業でしょう)。残っていたのはスティルトンチーズだけでした。チーズの包装紙には穴があけられていたのですが、きっとあの独特の匂いがネパール人の嗅覚には耐えられず、手付かずのままで残されていたと思われます。 また、ハワード・カーター率いるツタンカーメン探検隊は、少年アテン太陽王の偶像などの古代遺物や美術品を、英国王室の了解を暗に意味すべく、フォートナム・アンド・メイソンのワインケースを使って目録分類をしたといいます。

1930年-スポーツ用品売り場を開設

スポーツ用品売り場の開設に伴い、店内特設ミニチュア・スキースロープとスローモーション・フィルムによって、来店客にスキーの滑り方を伝授しました。

1931年‐現代装飾売り場を開設

マリオン・ドーンがデザインした豪華な絨毯、アラン・ウォルトン、レックス・ウィスラー、オリバー・メッセル、ニコラス・デ・モラスらによる壁画を陳列していました。

1935年‐遠方からの来店者

1935年のジョージ5世25周年祝賀会には、皇太子や有力著名人たちが大英帝国各地から集まりました。そこで世界各国からの最高級品輸入を手がける老舗フォートナム・アンド・メイソンは、要人達のニーズに応えるよう使命を受け特別部門を設けました。フォートナム・アンド・メイソンだからこそ可能だったと言えるでしょう。

1937年‐英国の陶磁器メーカー、スポードが、手描き磁器Fortnum & Mason Centres(中央に手描きの図柄が入ったランチョン・プレート)を制作しました。

1940年‐軍人向けのアクティブ・サービス(戦地勤務)チョコレートをつくりました。

1950年‐継続する配給制への対応として、商標Chefs d’Oeuvre(「傑作」の意)を立ち上げました。

1954年‐初の女性取締役イヴリン・ホワイトサイドが取締役会に加わりました。

1955年‐ロンドンきっての美麗で刺激的なレストラン、ザ・ファウンテンを開店しました。

Fortnum's clock

1964年 – ピカデリー本店正面の時計が落成

1964年にはフォートナム・アンド・メイソンの建物正面に、かの有名なフォートナム時計が設置されました。ビッグベンと同じ鋳造工場で作られた18個の鐘が15分おきに心地よい音色を響かせ、毎時ごとにフォートナムとメイソン両氏の人形が、まるで「ちょっと様子を見にきたよ」と言うかのように姿を現します。

1983年‐リンダ・マッカートニーが、グリーナム・コモン空軍基地反対運動者のためにF&Mハンパーを注文しました。

1984年 – バンド・エイド

1984年の冬、従業員が“Do They Know It’s Christmas?”のシングルレコードを売るべきだと主張する、というニュースが英国内で大きく報道されました。フォートナム・アンド・メイソンはその案を熱意をもってとりあげ、その曲を普段聞かないような人たちへも慈善的メッセージを発信するのに一役買いました。

1999年‐ショッピング用ウェブサイトの立ち上げ

フォートナム・アンド・メイソンは、販売対象範囲をデジタル世界へと拡大することによって、真のグローバル化を果たしました。販売種目はハンパーのみで立ち上げられた初のオンラインストアでしたが、その種類は50もありました。ほどなく販売種目が拡大され、食料品売り場のクラシック・ギフトも扱うようになり、21世紀を迎える頃には、800品目以上を取り扱うようになりました。

2008年。屋上にミツバチが棲み着く

Fortnum’s bees

2008年以降、フォートナム・アンド・メイソンの有名な4つのミツバチ・コロニーがピカデリー本店屋上の名物となっていました。4つの巣箱は、通常の巣箱の倍近い6フィート(約1.8 m)の高さがあり、それぞれ、ローマ様式、ムガール様式、中華様式、ゴシック様式という異なる建築様式でデザインされた独自の凱旋門風入り口が付いています。どの巣箱も、フォートナム・アンド・メイソンのシグネチャーカラーであるオーデニール(ナイル水色)で塗られており、銅被覆の仏塔風の屋根と、金めっきが施された「蜂籠」風のフィニアル(頂華)を備えています。何をするにも、フォートナム・アンド・メイソンは中途半端なことはやりません。

2012年‐エリザベス女王陛下がコーンウォール公爵夫人(カミラ妃殿下)、ケンブリッジ公爵夫人(キャサリン妃)と共に来店。女王は、ダイヤモンド・ジュビリー(在位60周年記念)ティー・サロンの除幕式を執り行いました。

2012年3月1日は、フォートナム・アンド・メイソンにおける歴史的な一日となりました。エリザベス2世女王陛下が、カミラ妃殿下とキャサリン妃を伴ってフォートナム・アンド・メイソンを訪れ、ダイヤモンド・ジュビリー・ティー・サロンの除幕式に臨まれました。この機会に、女王陛下は、在位60周年を祝って制作された60点のユニークなダイヤモンド・ジュビリー商品もご覧になりました。その一つである、紅茶とビスケットの缶入り詰め合わせは、全世界17,000人の英国軍人たちに向けて送られました。

2013年‐セント・パンクラス駅店がオープン

フォートナム・アンド・メイソンは、1707年以来初めて、英国のセント・パンクラス国際駅に新店舗をオープンさせました。セント・パンクラス駅コンコースに位置するこの店舗は、フォートナム・アンド・メイソンが300年前から続けてきたのと同様に、国内旅行者に奉仕することを目的としています。恐れを知らない探検家、サー・ラヌルフ・ファインズによって落成式が執り行われたこの店舗は、旅の初めや終わりに、紅茶、ワイン、軽食を楽しむのにもってこいの場所であります。

2014年‐ヒースロー空港ターミナル5に店舗をオープン

フォートナム・アンド・メイソン・ターミナル5店は、見事に設計された、面積1,000平方フィート(93平方メートル)のストアで、ピカデリー本店の商品を厳選して取り揃えております。到着時に友人や家族へのギフトとして買う食品が中心となっているとはいえ、うわさによると、こっそり自分用にしてしまう場合も多いようです。