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1800’s 英国食文化の最先端を走る1800年代

創始者ウィリアム・フォートナムの孫にあたるチャールズは、映画「ジョージ王の狂気」の中のシーンにも出てくるように、1788年に国王軍の任務を退きビジネスに全力を尽くします。王室に従事することは大変な苦労であったはずですが、当時フランス貴族であることに比べればさほどのことではかったでしょう。

1811年には摂政政治が始まり、混乱の中で男たちが群れをなし、嗅ぎ煙草や食品を求めてフォートナム・アンド・メイソンに押し寄せました。ジョージ王、ウィリアム王、ビクトリア女王の時代、そして産業革命と大英帝国の勢力拡大という激動する時代に、フォートナム・アンド・メイソンは影響力と名声を増しながら発展していったのです。


1815 - ワーテルロー

ワーテルローの戦い
フォートナム・アンド・メイソンは戦時中の士気高揚維持には不可欠な存在で、ペニンシュラ戦争以降「nations of shopkeepers(あきんどの国)」として、ナポレオン率いるフランス軍を破って英国に勝利をもたらした兵士たちの胃袋を満たしました。はちみつ、ドライフルーツ、香辛料、特にジャムは、戦地の兵士たちには大変ありがたい食べ物でした。その内容は当時のタイム紙などで紹介されています。美しい包装紙に覆われた、それまで見たこともなかったおいしい食べ物に、兵士たちはとりこになっていったのです。


1846 - フォートナム氏の富

リチャード・フォートナム、従業員に富を分け与える
フォートナム・アンド・メイソンの経営管理者たちは常に啓蒙的でした。店内でのショッピングをお客様に楽しんでいただくためには、まず現場の従業員に手厚い待遇を施す必要があるといち早くから理解していたのです。数あるエピソードの中でも特に、リチャードが分け与えた1,500ポンドのギフト(現在の貨幣価値換算で約50万ポンド)は有名です。その数年後には、フォートナム・アンド・メイソンの従業員は、当時新しく結成された労働組合に加入している者のみで構成され、メディアの報道で名前を公表されるのを恐れることなく組合活動を自由に行うことができるようになりました。


1851 - ディケンズ とフォートナム・アンド・メイソン

万国博覧会、チャールズ・ディケンズ、そしてハンパー大革命
時の皇太子アルバートが情熱を注いだ1851年の万国博覧会は、ロンドン産業革命に更に貢献しました。フォートナム・アンド・メイソンはドライフルーツとデザート各種の輸入業者として最優秀賞を獲得しましたが、それ以上に、イギリスの人々の食習慣に与えた影響の方がはるかに大きいものでした。

この万博では、クリスタルパレスに見られるような工場生産製品を運搬し組み立てて完成するという「プレハブ」の概念が注目されました。フォートナム・アンド・メイソンは、それをヒントに、「とり肉のゼリー寄せ」、有名な「スコティッシュ・エッグ」(挽肉の中にゆで卵が入ったもの)、緑亀の干し肉、イノシシの頭、トリュフ、マンゴーなど、調理・盛付け済み高級料理を考案したのです。 チャールズ・ディケンズはエプサムダービーでの出来事の一場面を次のように書いています。「見てごらん!フォートナム・アンド・メイソンじゃないか。どのハンパーも緑の芝の上に大きく広げられて、ロブスターサラダがのぞいている。なんて素敵なのだろう!」と。同じような描写がヘンリー・ジェームス、ウィルキー・コリンズやその他の著名作家の作品にも見られます。アスコット競馬、ボートレース(オックスフォード大学とケンブリッジ大学対抗戦)、ヘンリーレガッタ(ヨーロッパ最古のボートレース)、ウィンブルドン、ローズ(世界で最も有名なクリケット競技が行われる)やトゥイッカムナム(有名なラグビー戦が行われる)でハンパーは大活躍し、創業2世紀目の半ばまでには、フォートナム・アンド・メイソンは屋外イベントの立役者として有名になりました。


1855 - クリミア戦争

ビクトリア女王、ビーフティーそしてフローレンス・ナイティンゲール
1854年、いわゆる「Charge of the Light Brigade」の名で知られるイギリス戦士の大惨劇が本国を震撼させました。クリミア戦争で初めて、現場レポーターによって前線で戦う兵士たちの悲惨な状況が報道されたのです。

スクタリの病院でのすさまじい状況がイギリスに伝えられると、ビクトリア女王自身が直々に「スクタリのナイティンゲールに大量の濃縮ビーフティー(病人用牛肉スープ)を直ちに発送せよ」とフォートナム・アンド・メイソンに命令を下しました。
クリミアに向かうすべての船舶にはフォートナム・アンド・メイソンのラベル付きの貨物が積まれたのですが、海軍将校の多くは「はびこる盗賊たちのねらいをかわすためにラベルをつけないでほしい」という旨の手紙をよこしたそうです。


1876 - 電話の発明

ベル氏による世界初の電話通話
「ワトソン氏よ、ここにきていただきたいのです」。この言葉とともにアレクサンダー・グラハム・ベルが通信革命を引き起こしました。やがて人々は使用人や書簡をピカデリーに送る必要はなくなりました。お店に電話をかけて注文するだけでよくなったのですから。電話の発明以前にもフォートナム・アンド・メイソンの商品は、世界中の戦地や探検地域など本国から遠く離れた地でも愛されていましたが、これをきっかけに、そういった遠隔地からさえも調理済食品の注文を受けることが可能になりました。


1886年-若きハインツ氏

ハインツ氏、ピカデリーにベークドビーンズをもたらす
19世紀半ば頃から、フォートナム・アンド・メイソンは缶詰製品においても主導権を握っていました。当時はなかなか容易に開けることが難しかった缶をポケットナイフで簡単に開ける方法を広めました。そんなわけで、遥かアメリカから缶詰5箱分を持ってやってきた若き実業家が最初に訪れたのがフォートナム・アンド・メイソンだったのも当然のことだったのでしょう。将来、必需主要食品となるであろうという先見をもったフォートナム・アンド・メイソンは、ハインツ氏から缶詰を全部引き取ることにし、イギリスに初めてベークドビーンズを広めたのです。食通をうならせるフォートナム・アンド・メイソンの数多い商品のひとつに加わったベークトビーンズには、こんなエピソードがあったのでした。

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